”真田会長”が綴る


「銀輪クラブ」小史
○1989年 クラブの誕生 

     

元号が昭和から平成に変わった年(1989年)、
走り初めて3年目、

 山形・寒河江間の高速道路が完成し、 近々営業を開始するという。  自転車で走れる最後のチャンスということで、7月9日(日)皆さんを誘って走る。

(小生2度試走ずみ、今回が3回目)護国神社に集まった10名、完成したばかりの  高速道に乗り入れた。
  
高速道と分かる看板を入れて記念撮影、終わったとたん車(日本舗道とドアに書  いてあった)
に追いかけられ”おしかり”を受けたが、

もはや寒河江に近かったので  拝みたおして11キロを走り抜けた。

 高速道の終点、寒河江バイパスに出たところで女性二人と別れ

、残る男子は  「大沼の浮き島」まで足を延ばした。

  浮き島での昼食時、

会の名前が
「銀輪クラブ」と決まり

そろいのユニフォームを  作る話がまとまったことなどから、

この日がクラブの誕生日だろう。

この頃、庶民の足としての自転車から、遊びの自転車としてのマウンテンバイクが  流行しはじめた。

そのマウンテンバイクのことを記事にするために、9月10日  読売新聞社の依頼を受けて、

記者と一緒に山寺から”コスモスベルグ”に遊んだ。     

この記事は後の日曜版に載った。 銀輪クラブも有名になったものだ。